第二話 ナマハゲを旅のよすがに、男鹿半島を北へ南へ

本物のナマハゲに触れて熱くなった「なまはげ柴灯まつり」から一夜明けた朝。
初の本場でのナマハゲ体験はショーアップされていて、度肝を抜かれた。
あれから、頭の中はず〜っと「怠け者はいねが〜」と問いかけられている。誰も叱ってくれない大人になったからこそ毎年聞いておいたほうが良さそうな文言である。これは、癖になりそうだ。
とはいえ、昨夜のナマハゲは神事ではない。本番の行事は大晦日の夜だ。

そもそも、ナマハゲとはなんなのか?

山から降りてくる、神様の使い。いかつい顔の暴れん坊でみんなに恐れられているはずなのに、なぜか愛されている。ナマハゲに関連する柴灯祭(さいとうさい)の歴史が900年と考えると、それ以上の長い時間を経て地域になくてはならない存在となったのは確かだ。
時代の変化が早すぎる現代において、2世代以上前と同じ体験ができるということは非常に貴重なことではないだろうか。そういう意味ではナマハゲは世代間や土地の精神をつなぐ"糸"のような存在にも思える。

実は、日本には各地にナマハゲと似た風習がある。男鹿半島は、「男鹿ナマハゲ」の里として今でも数多くの集落で実際に行事として行われている稀有な地域。

翌日は、真山神社そばにある「なまはげ館」を訪ねた。
なまはげ館には、約60地区のお面が展示されている部屋がある。それらは男鹿半島の各集落から集められたもので、152枚あるうちの30枚ほどは現役で使われている。
作り方や形は多種多様で定められたものはなく、マツやスギ、ケヤキなどの木で彫られた面が多いと解説員の太田忠さんは話す。
なんといっても、最古の文献になるのが江戸時代後期の旅人、菅江真澄が記したものだから、それよりも長く伝承されたとしても実態はわからない。大晦日に一斉に行われる行事のため、データ化でもしない限り地域毎の様式を把握することは無理なことなのだ。各地、時代に沿って少しずつ変化しながら受け継がれている、といったところだろうか。

日本でただひとりの「ナマハゲ面彫師」、石川千秋(せんしゅう)さんが彫ったお面を身につける地域もある。石川さんの手からお面に命が吹き込まれる瞬間に立ち会うなら、なまはげ館へ。

お面や装束など集落での些細な伝承の違いといった、民俗学的な側面からナマハゲの魅力に感じ入っていると、支配人の山本晃仁さんが声をかけてきた。
「うぉーって脅かすのがナマハゲと思っているでしょ?そうじゃないんですよ。大切なのは問答です。昨夜、行事を見たでしょう?あれは、ずっと地域に住んでいる人じゃなきゃできない内容なんです」。
確かに、退院したばかりのおばあちゃんの健康を気遣ってくれたり、ゲームばかりしているだとか子どもの怠け癖をより具体的に指摘してくれたりするのは、毎年やってくるからこそ知っていることなのかもしれない。なまはげ柴灯まつりでは、ナマハゲは「ナマハゲ台帳」なるものを広げて問答をしていた。そこにいろいろとマル秘個人情報が記載されているらしい。ナマハゲは、地域の情報通なのだ。

なまはげ館を後にし、同じ真山地区にある「里山のカフェ ににぎ」を訪ねた。

昭和27年に建てられた古民家は、春から秋まではカフェで賑わう。冬は民宿のみ営業。受け入れ可能は2組なので、なまはげ柴灯まつりのタイミングで宿泊するなら早めに予約を。

「里山のカフェ ににぎ」オーナーの猿田真さんは小学5年生のときに父方の実家であるこの家に帰省し、初めて真山地区のナマハゲを体験した。カマス袋(藁のムシロで作った肥料や穀物を入れる袋)に入れられ、軒先の木の下まで連れまわされた経験は忘れられないという。
大人になった現在、自分がナマハゲとなって大晦日には集落の家を1軒ずつ回る。
「2011年から行事に関わっていますけど、先立ちを2年やって様子を見て、3年目にようやくナマハゲになりました。やっぱり問答の内容が難しいですよね。訪れた家にそぐわないようなことは言えないですし。ぶっつけ本番なので、経験が問われます」。
地域に住んで各家庭の事情をしっかりと把握しておかないと問答ができない、と猿田さんは話す。
ナマハゲ行事の真髄は、問答にあるのだ。

「お面をつけると気持ちのスイッチが入りますよ。神の使いですから、それとおぼしき者になるように」と猿田さん。幼い頃、ナマハゲの時期が近づくとそれなりに覚悟をしたとか。

これまで、ナマハゲは子どもを脅かして教訓を与えるものというイメージを持っていたが、どうやらコミュニティのつなぎになる役割を担っているらしい。しかも厄を追い払って翌年の幸せまで願ってくれるのだから、まさに「神様の使い」として働いている存在だ。

居心地のいい「ににぎ」のカフェ空間から外を眺めてみた。薪ストーブではシュンシュンとやかんが沸騰し、コーヒーが飲みたくなったが冬はお休みなので遠慮をしておく。
遠浅の海。ぐしゃぐしゃに面が割れた波は冬の日本海らしいが、穏やかな面の海の日もある。

真山を出て、ハタハタの水揚げで有名な北浦漁港を過ぎて琴川地区に向かう。
目的地は「こおひい工房 珈音」。
こんなところに? というくらい、田んぼだらけの場所である。冬は閑散として見えるが、田んぼの季節は青々として風光明媚な景色が広がるのだろう。
オーナーの佐藤毅(たけし)さんは、実家でもある建物を改装し、2006年にコーヒーの焙煎所を始めた。2年後にはカフェをオープン。
「ここは観光ルートからも外れていて、何もない場所なんです。逆に、自然や生き物がいっぱいで、夏には蛍も見えるんですよ」という佐藤さん。店ではときどき蛍や星を見ながら佐藤さんがコントラバスを演奏するイベントなども行なっている。

雲の白、雪の白にショコラ色の森。珈音の周囲には建物がなく、気持ちがいい。佐藤さんは奥のほうの田んぼで米作りも行なっている。

「本当にいい場所なんですけどね、今後は山をどう活かせるかが重要になっている気がしています」。
佐藤さんは、杉林の活用のために薪窯を作り、山の木を薪にしてパンを焼くことを考えているという。
地域にスゲが自生することから、米作りの日よけに必要なすげ笠も編む。地元である琴川のすげ笠は、男鹿市指定無形文化財だ。北前船で北陸から伝わった歴史をモノで伝える活動も行う。自分の住む土地の歴史や文化、地のものを現代のライフスタイルに寄り添わせながら、佐藤さんは暮らしているようだ。

ちなみに、佐藤さんもナマハゲになることが?
「ありますよ。地域の行事ですから」。
囁くように淡々と話す彼の「うぉー、うぉー」がどうしても想像できなかった。いつか聞いてみたいと思う。

直火の焙煎機で焙煎し、ハンドドリップした珈音ブレンドと生地から起こして焼いているトースト。風景を眺められる窓際の席、もしくは薪ストーブそばのソファ席でゆっくりと。
初夏には窓からホタルも見られますよ、と佐藤さん。右は一緒に働く池内和美さん。池内さんは男鹿に移住して4年目。喫茶チンパンジーの店主でもある。

男鹿でナマハゲといえば、あとひとつ、忘れてはいけない場所がある。
男鹿三山と呼ばれる本山、真山、毛無山は、古くから赤神権現を進行する修験者の道場として栄えてきたが、真山のほか本山にある「赤神神社 五社堂」にも、ナマハゲにちなんだこんな伝説が残っている。

その昔、中国、漢の武帝が不老不死の薬を探し、5匹のコウモリを連れて男鹿に来た。コウモリは鬼に変身して懸命に武帝のために働いていたが、ある日、「1日だけ休みがほしい」と正月15日に里に降り、ほうぼうを荒らして暴れまわったという。
たまりかねた村人は、鬼たちに「夜明けの一番鶏が鳴くまでに村から毎年山頂の五社堂まで千段の石段を築いてほしい。できたら毎年娘をひとり差し出し、できなかったら村には二度と降りてこないでほしい」と懇願する。
話を受けた鬼は、あっという間に石を積んでいったが、999段になったときにそれを見ていたアマノジャクが一番鶏の鳴き真似をした。それを聞いた鬼たちが悔しさのあまり千年杉を根こそぎ引き抜き、真っ逆さまに大地に突き刺して帰っていった。
鬼5匹がひと晩で積み上げた999あるといわれている石段。雪で数えられなかったが息を切らしながら上がっていく。
赤神神社 五社堂は江戸時代中期の神社建築で、1990年に国の重要文化財に指定された。5匹の鬼がそれぞれ祀られている。

ナマハゲの正体は赤神神社の五鬼伝説のほか、真山地区の山の神説、異邦人漂流説、修験者説、祖霊神説などがあり、はっきりとした出処は不明の存在であるが、各地域で真剣に持論を展開する人がいる。
共通しているのは、厄災を祓って福をもたらしてくれること。五穀豊穣を祈ってくれること。どうしてあんなに怖いお面になったのか異邦人漂流説などを考えると謎は深まるばかりだが、異質なものを受け入れる土壌が男鹿にはあったのだということを旅人なりに理解できた。

宮司の元山高道さんは、ナマハゲは赤神の使いだと神社に伝わる文献を見せる。「海のそばだから、昔はこのあたりは気が荒い人が多くてね。出稼ぎから戻ってくる若い未婚の男性たちがナマハゲになるから怖かったよ」と自身のナマハゲにまつわる思い出を話してくれた。
吹雪いたり、晴れたり、半島の天気は変わりやすい。観光客には足の弁は少々悪くなってしまうが、山に雪が積もってくれないと田植え期の水量に不安が残る。

正直、2日間くらいではナマハゲの奥深さには触れられない。
けれども、不思議なものに惹かれ、遠方を訪れる旅人としては、「なまはげ柴灯りまつり」というイベントを通して、十分すぎるほど土地で大切にされている精神性に触れられたと思う。
それはイベントだけではなく、少し滞在してみることで住民の暮らしに息づいているナマハゲの存在を感じられたからかもしれない。
例えば、実際にナマハゲに襲われたことがあるとか、ナマハゲ行事の御膳はこんなだよ、とかそういう何気ない話を男鹿の人たちに聞いたりすることで。

大晦日の夜、ナマハゲはこんな風にやってくる。
男鹿真山伝承館での「男鹿のナマハゲ」体験、ダイジェスト。

【番外編】集落のナマハゲを12年ぶりに復活!

半島の南側、船川港のある増川(ますがわ)地区では、2018年の大晦日に12年ぶりにナマハゲ行事が復活した。高齢化の進む集落で、ナマハゲになる若者がいなかったところを男鹿市地域おこし協力隊の伊藤晴樹さん(左)がSNSを通じて全国の若者に呼びかけ、文化を学ぶワークショップなどを開催して実現。当時、初めてナマハゲを務めた伊藤さんは「まめでらがー(元気ですか)」と家に入ってから、問答を始めるのが難しかったそう。昨年は、同地区で「ゲストハウス男鹿」を営む三浦豊さん(右)が現存する資料をもとに、地元の桐を彫って昔ながらの面を作成。年末にデビューの見込みだ。

ゲストハウス男鹿

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