「なまはげ柴灯まつり」を60年間、
途切れることなく開催してきた
男鹿市真山地区住民の誇り。
「ナマハゲは私たちの
生活の一部だ」
2018年にユネスコ無形文化遺産「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとして登録された「男鹿のナマハゲ」。「怠け者はいねが」「泣く子はいねが」と叫びながら家々を訪れるその光景は、大晦日の風物として毎年メディアで報道され、日本有数の知名度を誇る民俗行事として、すっかり定着しています。
ナマハゲを全国区に押し上げた数々の要因の一つとして挙げられるのが、毎年2月に秋田県男鹿市北浦真山の真山(しんざん)神社で開催されるお祭り「なまはげ柴灯(せど)まつり」。真山神社の神事「柴灯(さいとう)祭」と、伝統行事「男鹿のナマハゲ」を組み合わせた観光イベントです。驚くべきは1964年からスタートして以降、会場を変えながらも、60年間途絶えることなく続いてきたこと。コロナ禍でも中止としなかった理由、そしてナマハゲ行事がいま直面する継承の課題について、なまはげ柴灯まつりの関係者にお話を伺いました。
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菅原 昇さん
1943年、秋田県男鹿市北浦真山出身。真山地区会長。地区のリーダーとして「なまはげ柴灯まつり」を長年支えているほか、ナマハゲ行事の継承活動にも取り組んでいる。
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武内 信彦さん
1951年、秋田県男鹿市北浦北浦出身。真山神社宮司。1984年から現在まで宮司を務める。「なまはげ柴灯まつり」では、神事をはじめ重要な役割を担う。
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石川 大輔さん
1984年、秋田県男鹿市北浦真山出身。高校卒業後に地元のナマハゲ行事に関わるようになる。「なまはげ柴灯まつり」のなまはげ下山では、行列の先頭に立つ「横綱」役を務める。
地元の人の協力なくしては成り立たないお祭り
――「なまはげ柴灯まつり」は今回で60回目の開催を迎えます。コロナ禍でも中止をしなかったと伺いましたが、コロナ禍が始まった当初は、やはり難しい決断が迫られたのではないでしょうか。
菅原当然、開催するか否かという議論は実行委員会の中でありました。しかし、屋外でやる行事ということで、感染症対策をしっかりとやれば、できるんじゃないかということで、最終的に開催するはこびとなりました。ただ、地元(真山地区)の人の中には、コロナで参加を控えるという方もいらっしゃいましたので、人手不足が懸念としてありました。
――人手が足りなくなると、やはり祭りの開催は難しくなってきますか?
菅原(祭りの開催のために)たくさんの作業があるので、地元の人の協力なくしては成り立ちません。それに、一番大事なのが、ナマハゲ役の確保です。「なまはげ下山・献餅」に登場するナマハゲが15体は必ず必要になりますし、「なまはげ行事再現」や、「なまはげ踊り」も含めると、当日約20人はナマハゲ役を揃えなければなりません。
石川基本的に「なまはげ柴灯まつり」のナマハゲ役は、真山地区の人間が務めるのですが、最近は仕事の都合でどうしても参加できないという方もいるので、そういう時は他地区から応援に来てもらって、なんとか15体を揃えるようにしていますね。
武内なぜ「15」という数字にこだわるかというと、もともとナマハゲは小正月(1月15日)の行事、旧暦の満月の日にこういう行事をすることで願いが叶うといういわれがあるんです。また真山地区の大晦日の行事では、ナマハゲが家に入る時、7回、5回、3回と足踏みをします。この数字を合計すると「15」。小正月行事にとって、15という数字は「吉数」なんですね。
伝統に対する誇りと、祭りで感動させたいという想い
――地元の人だけでお祭りを成り立たせるのは、やはり難しくなってきているのでしょうか。
石川担い手はやはり減っていますね。大晦日のナマハゲ行事でも、幸にして真山地区は男鹿市内でも平均年齢が一番若いくらいなのですが、他の地区だと50代、70代の人がナマハゲ役を務めている地域もあるそうです。
――やはり少子高齢化で人が減っているということですか?
菅原地元の小学校も私らの頃は生徒が600、700人おりましたが、現在は全校合わせても30人くらい。残念ながら、すでに廃校も決まっています。
石川僕はナマハゲの担い手になりうる人はまだまだいると思っていて、例えばお孫さんの世代の方とか、大晦日に真山に帰ってくる人とか、そういう人たちを自分の世代がいかに巻き込んでいくのかが大事かなと思っています。
ナマハゲ行事って一度参加するとすごく楽しいんですけど、参加するまでの敷居が高いんですよね。いくら地元の人間といえど、年の離れた先輩たちの中にいきなり入っていくことって難しいですからね。だから、内部の人間から、行事に参加するための道筋を作ってあげる必要があるんです。
菅原石川くんが言ったように、若い人たちにナマハゲに関心を持ってもらうことが大事だと思っています。私たちも真山なまはげ伝承会という会を作って、小学校の総合学習の一環でナマハゲのことを勉強してもらうという取り組みをもう15〜16年、続けています。
――地区の外部から参加者を募るということはないのでしょうか。
石川(真山地区では)大晦日のナマハゲに関しては、絶対にないと思います。
菅原地区によって考え方は違うので、外国人の方でも参加していいという地域もありますが、真山地区では、ナマハゲ行事はもう私たち地元の人間にとっては生活の一部なんですね。それだけ地域と密着したものなので、外からの人に参加していただくとなると、その伝統が壊れてしまうと思うんですよ。
――時代が変わっても、変えてはいけないものがあるということですね。
菅原ナマハゲ行事は祭りではなく、神事ですからね。
武内そういう意味でいうと、なまはげ柴灯まつりの方はあくまで「イベント」なので、むしろ祭りの内容も毎年けっこう変わっていっています。「どうやったらお客さんに楽しんでもらえるか」「感動してもらえるか」ということを常に考えていますし、毎回祭りが終わったら社務所に集まって、お酒を飲みながら反省会をしているんです(笑)
――例えば、どういったところが変わりましたか?
武内以前は雪山の上に松明を持った15体のナマハゲが並ぶという演出もなかったですからね。途中から「こうすれば、いいんでねえか」と言い出した人がいて、あのような演出に。
――いろいろ試行錯誤された歴史があるということですね。
武内綱引きをやってみたことがありますが、それが終わると地元の人がみんな帰っちゃうので止めましたね(笑)
「なまはげ柴灯まつり」が果たした大きな役割
――今回、60回目の節目ということで、何か特別な思い入れなどはありますか?
武内60歳というと、人間でいえば還暦を迎える年。それだけの長い間続けてこられたのは、地元の人など関係者の努力があってこそだと思っています。ですから真山神社の宮司としては、やはり今まで祭りを主催してきた方々への敬意を表したいですね。
菅原地区としては、60回目だから何か変わったことをしようというつもりはありません。ですが、「男鹿のナマハゲ」が、これほどまでに全国に知れ渡り、国の重要無形文化財への指定や、ユネスコ無形文化遺産への登録につながったことに関しては、60年間続いてきた「なまはげ柴灯まつり」の果たした役割は決して小さいものではないと、そういう自負はあります。
武内そうですね。全国に火祭りはたくさんあると思いますが、火を焚きながらナマハゲが出てくる祭りというのはオンリーワンですし、この祭りが「男鹿のナマハゲ」を印象付けたという側面はあると思います。
――最後に、なまはげ柴灯まつりに来るお客様にメッセージをお願いします。
武内先ほどお伝えした通り、なまはげ柴灯まつりは他の地域では体験できないオンリーワンのお祭り。その点を理解して見ていただくとより印象深くなるのではないかと思います。
石川ナマハゲ役としては、ナマハゲの一挙手一投足にどういう意味があるのか、どうやって楽しませようとしているのか、そういったところまで感じ取ってもらえると嬉しいですね。
菅原2023年も例年通り、迫力のある、幻想的な「なまはげ柴灯まつり」をやりたいと思っております。男鹿はナマハゲだけではなくて、美味しい食べ物もたくさんあるし、水族館(男鹿水族館GAO)もあります。ぜひ泊りがけで遊びに来ていただければと思います。
「ナマハゲは生活の一部」という菅原会長の一言が印象的だった今回の取材。地域のための行事と、外に開かれたお祭りが見事に共存し、「男鹿のナマハゲ」という伝統文化の価値を高めている、そんな印象を3人のお話から受けました。60年間、人々に感動を与えてきた、なまはげ柴灯まつり。2023年も期待をして開催の日を待ちましょう。
(取材・執筆:株式会社オマツリジャパン/取材日:2022.12.10)